比嘉春潮について 1 ある誤植

比嘉春潮全集2巻に収録されている「沖縄の明治百年」は興味深い随筆です。これの原典にあたってみたくなって探していました。

ところが全集で『琉球新報』1968年1月1日に掲載とされていましたが見つかりません。調べた結果、『琉球新報』1967年1月21日(土)8面が正しい日付であることがわかりました。

「沖縄の明治百年」は、当時の子どもの学校生活がどのようなものだったのかをうかがい知ることができる面白い文章だと思います。明治の当時、日常語は沖縄口が優勢だったので「内地語」への順応がかなり難しかったようです。

私など右(みぎ)は水(みぢ)のことと決めてしまい、先生の「右向け右」の号令に、水のある田んぼの方に威勢よく向かって笑われたこともあった。

大事なところは、比嘉が「右」を「水」と間違えたことではなく、「威勢よく」というくだりです。他の子が皆右を向いているのに、左が正しいと考えた比嘉は自分の判断に自信を持って「得々と」主張している様子がうかがえます。学校では群を抜いて優秀だったという比嘉らしい行動ですね。

比嘉の口述筆記による自叙伝『沖縄の歳月 自伝的回想から』(中公新書、1969年)なども当時の沖縄の世相を知る上で重要な文献といえます。

伊波普猷について 1 ある誤植

 

 今日はクリスマスイブですね。それでか近所のショッピングセンターが朝から人で賑わっていました。

 さて、伊波普猷の著作を読んでいて気づいたことが1点あったので、以下にメモしておきます。

 伊波は沖縄の支配階級が経済的、遺伝子的搾取をおこなっていたことを告発する文章を記しています。伊波は優生学的な観点から沖縄社会の問題点を主張しました。

 加之〔しかのみならず〕、貴族政治の國柄で、畜妾の風習があつたから、大勢の田舎美人が、徴發されて、「首里おや國」(首里の都の義)に集つたことを知らなければならぬ。かうした雌雄淘汰の結果、强い男子と美しい女子とが生れて來るのは、當然のことである。經濟的の搾取のみならず、血液の搾取までやつた征服者なる首里人は、巧に諸制度を運用して、この三四百年の間、自分等の十倍にも餘る被征服者を奴隷化して、明治の初年に及んだのである。

 この文章は伊波普猷「沖繩縣下のヤドリ」『地方』帝國地方行政學會、34巻5号、1926年5月号、107頁から引用したものです。

 ところが、この文章が伊波の著作『琉球古今記』(1926年刊、刀江書院)に収録される際に「强い男子」が「弱い男子」(432頁)に誤植されてしまったようです。

 この段落は、血液の搾取によってよりよい遺伝子が都市に集まったという主旨の文脈なので、「强い男子」が正しく、多分「弱い男子」は誤りであろうと思われました。

 細かいことですが、気になったのでメモしておきます。

今日は雪がやんで寒さも少しやわらいでいます。